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塾頭の生い立ち

2020/06/23
Victoryブログ

塾頭山崎です。

先日開いた保護者会の冒頭、

塾頭の生い立ちについて簡単に触れました。

保護者様から「面白かった」とのお言葉を頂きました。

もう少し詳しく塾頭のバックグラウンドをお話させて頂きます。

1965年7月30日生まれです。

京都の桂総合病院で生まれました。

第1子です。

出産予定日は

9月30日でした。

「?????」

となりましたか?

そうなのです。

私は「2か月」早く生まれたのです。

つまり、

「超未熟児」

体重はどれくらいだったと思いますか。

実は、

「1680グラム」

当時、お医者様から母に

「この子が生き延びる可能性は

「50%」

と言われていたようです。

当時、父はすでに米国勤務のため、

渡米していました。

そして、

「啓三」という名前が付けられました。

「?????」

「あれ?第一子じゃなかったっけ?」

と思われた方、

「鋭い」です。

私自身もその疑問を持っていました。

ある時、小学校の時だったと思いますが、

「自分の名前の由来を調べる」

宿題が出されました。

その時、母に聞きました。

「なんで、俺は一人目なのに「三」がついているの」

母は言いました。

「神戸のおじいちゃんが付けてくれたのよ」

「おじいちゃんにとっては3人目の孫なのよ」

と説明してくれました。

「なるほどね」

と納得しました。

時を元に戻して、

そのような未熟児で生まれた私は、

しばらくの間、

「保育器」の中にいたようです。

そして、生まれて半年後、

米国に飛び立ちました。

その米国での記憶は

「全く」残っていません。

ただ、アルバムを見ると

ニューヨークに住んでいたようです。

その後、サンフランシスコにも住み、

そこで妹が生まれました。

5歳頃、帰国して東京の立川に住みました。

ここには小学2年まで済みましたが、

ここの記憶もほとんどありません。

一つだけ強烈に残っている記憶があります。

それは、ある夏、

林にカブトムシやクワガタを取りに行きました。

2,3人で行ったと思いますが、

そこで高学年の小学生たちに絡まれます。

自分たちが取ったノコギリクワガタを

取り上げられます。

その小学生の一人がクワガタの胴体を

引きちぎって原っぱの方に投げたのです。

私は泣きながら、そのクワガタを探しましたが

見つかりませんでした。

未だに「なぜ絡まれたのか」とか

「なぜ小学生がクワガタを引きちぎったのか」

など理由は全く思い出せません。

それ以外、思い出せることはなく、

小学2年生で横浜市戸塚区に引っ越しました。

そこには、当時、

「横浜ドリームランド」

という遊園地があり、

その遊園地を囲むように

マンションが立ち並んでいました。

「ドリームハイツ」

と呼ばれていました。

今日はこの辺で。

最後までお読みいただきありがとうございました。

感謝。